歴史を語る榕(アコウ)の木~ふるさと歴史散歩②
2018年8月14日(火曜日)
8月14日(火),学校付近の歴史を見てみましょう。
皆さんが通っている榕城小学校の校庭にある榕(アコウ)の木について振り返ってみましょう。では,どんな歴史があったのでしょうか。
江戸時代,西之表村は,上西之表村,中西之表村,下西之表村に分かれていました。種子島家では,士族を城の近くに住まわせて日頃の行政や,いざというときに備えをさせていたそうです。その地域は,野首(のくび),松畠(まつばたけ),中目(なかめ),納曽(のうそ),中野(なかの)の六郷で府元(ふもと)(麓)と言われており,この府元と西町,東町を西之表と呼んでいたそうです。(ふるさと歴史散歩:西之表市教育委員会編集発行参照)
西之表は,あちこちにアコウの木が生い茂っていたことから「赤尾木(あかおぎ)」と呼ばれ,島主の館(1624年,現在の榕城中から榕城小へ移転)は,近くに大きなアコウの木があったことから,いつしか人々に「赤尾木城(あかおぎじょう)」と呼ばれ親しまれていたということです。
アコウは,四国,九州,台湾の海岸から低地に自生するクワ科の常緑高木(じょうりょくこうぼく)で,枝から気根(きこん)を出し,それが地中に入り新しい幹となって大木になります。この木を雀榕(アコウ)というところから,赤尾木城跡につくられた小学校は,「榕城小学校」と名付けられたとのことです。(ふるさと歴史散歩:西之表市教育委員会編集発行参照)
このアコウの木は,樹齢450年を超えると言われており,長い月日の間,冬は自らの葉を落として島特有の強い北西の季節風に耐え,夏は度重なる台風の襲来にも耐え生き抜いてきました。
アコウの木も,きっと「榕城魂」の教育理念(人は誠実でなければ,役に立つ人間にはなれない。きまりを守って,礼儀正しくすることが大事である。)を踏まえながら,子ども達がすくすくと成長するよう本校142年の歴史と伝統をじっと見守ってくれていることだと思います。
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