榕城小は「赤尾木城(あかおぎじょう)」跡~ふるさと歴史散歩①
2018年8月13日(月曜日)
8月13日(月),学校付近の歴史を見てみましょう。
皆さんが通っている榕城小学校はお城のあった場所にあります。では,どんな歴史があったのでしょうか。
榕城小は,赤尾木城(あかおぎじょう)[上之城とも呼ばれた]の跡に建てられています。寛永元年(1624年)第17代島主忠時(ただとき)が内城(現在の榕城中学校)より榕城小に移転させ,明治2年(1869年)版籍奉還まで約250年間にわたって種子島家の居城であったとされています。
第19代島主久基(ひさもと)が山鹿(やまが)流の築城法によって整備されたこの城にはアコウの大木が生い茂っていたことから,赤尾木城と呼ばれていたとのことです。
明治11年赤尾木城跡に設置された小学校(ふるさと歴史散歩:西之表市教育委員会編集発行参照)は「榕城小学校」と命名され,土塁の一部が当時の様子を物語っています。
皆さんが,毎日登校してくる正門付近は,赤尾木城の跡が見える場所だと思います。当時の様子を思い浮かべてみてほしいと思います。
現在は,西之表市の文化財として,昭和34年8月10日に指定されています。
また,榕城小学校の正面玄関や建物にもお城をイメージした工夫が施されています。様々な人々の思いの深さを感じることができます。
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